農style fileVol.10

2010.11.01 UP

home > 農style file > Vol.10 つくり手の意識を変えた、道南生まれのお米『ふっくりんこ』。

前のページへ次のページへ
地元にしかない幻のうまい米『ふっくりんこ』

つくり手の意識を変えた、
道南生まれのお米
『ふっくりんこ』。

函館市に隣接する旧大野町(現北斗市)は、北海道の稲作発祥の地とされている。五年前の秋、地元のお米「ふっくりんこ」の取材のために、はじめて大野平野の田んぼを訪れたとき、これほど身近に米づくりの現場があったことに気がつき驚いた。そのくせ、おそらく初めて見た田園風景に、なぜだか懐かしさを感じるのは、やっぱり日本がお米の国だからだろうか。

つくり手が感じた小さな可能性。

「この米に出会ったことで、俺たち農家の意識は変わったと思うよ」
函館から車で一時間ほど西にある知内町の農家・木本勉さんは、「ふっくりんこ」に出会った当時を振り返る。「真剣に取り組まなくちゃいけない。大切に育てなくちゃいけない。たぶん、みんながそう感じたんだ。そして、このうまい米を、多くの人に食べてほしいと願ったんだ。そのために、我々つくり手も積極的に行動する必要があると感じたわけさ」
ここ数年、駆け足で評価を高めてきた北海道米。その人気の一翼を担う品種「ふっくりんこ」は、大野平野の真ん中にある道南農業試験場で誕生した。1993(平成5)年のことである。当時は系統名「渡育240号」と呼ばれ、道南特有の季節風(やませ)による冷害に耐えることができ、さらに食味の良い米(いわゆる低タンパク米)をめざして開発された。48粒の種籾から始まった約十年におよぶ試験栽培を経て、2003年にようやく品種としてのデビューにこぎつけた。初年度は農家28人(わずか20ヘクタール)による栽培だった。ちなみに、品種名は地元道南で一般公募され、鹿部町に住む女性の案が採用された。
けっしてメジャーとは言えない産地で生まれた米「ふっくりんこ」は、多くの関係者たちの熱意と努力によって、いまや全国へも流通する米に成長している。

品種のちからだけでは売れない。

お米の新品種は、二年間の現地試験(それまでは農業試験場の田んぼで育種されている)を経て、北海道の優良品種としての採用を判断される。これをクリアしなければ、その米が一般に流通する機会はほぼなくなる。その時点での「ふっくりんこ」の評価は低く、そのまま消え去ってしまう可能性があった。米の販売を取り仕切るホクレンや農協は、採用に強く反対していた。
それには理由がある。北海道米の売り先は、おもに道外にある大手の米穀卸であり、品質のそろった米を大きなロットで納入することが求められる。当然、本州の各産地の米と厳しい価格競争もおこなう。そうして販売先を確保していた。これが当時の北海道米の販売戦略だった。しかし、当初の「ふっくりんこ」は道南という小さな産地に向けて育成された品種であり、これまでの販売手法をそのまま適用することはできなかった。
それでも、この品種を生んだ道南農業試験場の強い声に押され、例外中の例外として三年目の現地試験にかけられることになった。ここで奇跡がおこる。瀬戸際の三年目、道南は冷害に見舞われて既存品種は品質・収穫量をともに落とした。しかし、冷害に強い品種である「ふっくりんこ」は、そのちからを存分に発揮した。冷害に悩まされ続けてきた道南の農家は、この米をつくりたい、と切実に訴えることになる。
「こったら米、売れるわけねぇべや」
新はこだて農協の田山光幸さんも、この新品種の導入には反対だった。高品質な米の収穫が期待できたが、品種だけの力では売れる米にはならない。続かない。そう判断しての反対だった。しかし、農協の立場として、農家の声を無視することはできない。この米を生かすための方法を考える役を担う覚悟を決めた。
田山さんは以前から、新たな米づくりに必要なのは、まずは農家の意識を変えることだと考えていた。「農家は誰もが、自分の米がいちばんおいしいと思っているからね。誇りを持つのは良い。でも、それは売れる理由にはならない。だからまず、『お山の大将』たちの鼻をへし折るところから始めたんです」。俺たちの米づくりは遅れている。田山さんは、つくり手に「業界の声」を包み隠さずに伝えた。都合の良いことだけを話すのはやめた。どんな情報も共有できるように改めた。

つくり手自身が考え、動く。

「ふっくりんこ」の栽培から商品化には、ひとつの先進的な取り組みがおこなわれている。それが、つくり手による生産者団体「函館育ち ふっくりんこ蔵部」の存在だ。道南(渡島・檜山)各地の稲作部会から「うまい米をつくる農家」が推薦され、農協・ホクレン・農業試験場・普及センターなどとの協力を得て、独自の栽培ルールをつくった。土づくり・種づくり・苗づくり、出荷・生産のルール、厳しい品質の基準など、つくり手自身によってガイドライン(おきて)を設けた。この手法は、のちに北海道米のエースとして華々しく登場する「ゆめぴりか」にも踏襲されている。
おいしさはコシヒカリにだって負けない。稲作には難しい道南の気候条件にも耐えられる。百年以上の品種改良の歴史で、ようやく生まれた一粒だ。この米を安定的につくることができれば、それまで二流三流と言われ続けてきた産地への評価を覆すことができるかも知れない。つくり手たちとの膝を交えた話し合いを繰り返し、幾度となく開かれた会議の末に、「地元にしかない幻のうまい米」というブランドテーマと、生産・流通のための自主的なルールを定めることが決まった。
蔵部のつくり手たちは、積極的に販売や営業などの現場に立ち会う。地元のスーパーやイベントでの対面販売、飲食店などの大口取引先へのアピール、学校を通じた体験・交流事業、「ふっくりんこ」を使った商品開発、食べ手を意識した広報、インターネットを利用した情報発信など。うまい米をつくるだけでない。その米を、どうやったら食べ続けてもらえるか。そのための戦略を練り、次々と実行していった。
その成果は着実に上がり、「ふっくりんこ」は地元で愛されている米という地位を手に入れた。新米を待たずに売り切れる年度が続き、増産の方策に追われることになった。また、それまで最低ランクだった渡島・檜山地域における北海道米の食率(どれだけ地元の米を食べているかの指標)を引き上げる結果も生んだ。なにより、つくり手たちに自信の笑顔が満ちるようになった。

人のちからで、長く愛される米へ。

品種のちからと人のちから。「ふっくりんこ」の成功には、どちらがより重要だったのか。その問いに、「人のちからだろうね」と、田山さんは迷わずに答えた。
つくり手・農協・ホクレンのそれぞれが、この米のことを「任せきり」にはしなかった。決めごとがあるたびに、ひとつひとつ考えて確認しあって、ときには意見がぶつかる場面もあったが、それぞれに歩み寄り協力して「ふっくりんこ」の方向性を決めてきた。地元で生まれた「ふっくりんこ」を大切に育てようという気持ちが、「農家は米をつくっているだけで良い」という古い意識を変えていった。
「これまで自分の子どもに、『農家は良い仕事だから後を継いでくれ』とは言えなかったんだ。でもこの先、あと十年か二十年かけて、『ふっくりんこ』のような取り組みを農家が続けていけば、お米づくりの環境は変化するかも知れない。胸を張って『農業は良い仕事だ』と言える日が来るはずだ。そんなことを、『ふっくりんこ』をつくりながら考えるようになった」
五年前の秋、北斗市(旧大野町)の農家・斉藤秀樹さんが最初のインタビューで語ってくれた言葉は、いまも強く印象に残っている。その「言える日」を見届けたくて、田んぼに通い続けている。
「ふっくりんこ」はデビューから八年を迎えた。道南のつくり手は837人にまで増えた。田んぼの面積は初年度の約113倍になった。そして、つくり手たちの情熱は、いまも変わっていない。

文・写真 高山 潤(http://www.monokaki-0138.jp/

知内町の農家・木本勉さん。函館育ち ふっくりんこ蔵部の部会長。

新はこだて農協の田山光幸さん。

生産者・農協・ホクレン・北海道(振興局)・自治体などが集まった会議の様子。

東京の大規模スーパーでおこなった生産者による販売促進活動。

北斗市(旧大野町)の農家・斉藤秀樹さん。

ギャラリー
函館育ち ふっくりんこ蔵部
http://www.fukkurinko.jp/
道南生まれのお米「ふっくりんこ」を、大切につくり続けていくために、生産から販売までを視野に入れた生産者団体
前のページへ次のページへ