農style fileVol.17

2013.02.01 UP

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押谷農園 押谷行彦さん

絶大な人気を誇るアスパラ。
その陰にある
センスとデータと人情味。

「口にしたほとんどの客がリピーターになる」「その太さに大概の人は目を見張る」そんな賛辞を受ける質の高いアスパラが、長沼町で栽培されている。作り手は奥様の志都香さんと農園を営む押谷行彦さん。人気の秘訣や栽培の詳細を伺いに長沼町へと向かった。

押谷さんの出身は兵庫県。大阪の食品流通の企業に就職し、どうにか仕事にも慣れた矢先、阪神大震災に見舞われた。災害の規模や被害の甚大さもさることながら、押谷さんが大きな違和感を感じたのは、被災地に食糧が届かないことだった。
「神戸は食べ物が底をついてるのに、隣の大阪には食糧があふれてる。これが日本の食糧事情の真実なんだと思い知らされました」
何かに頼って食糧を得るのではなく、自らのやり方で食と向き合いたい。震災をきっかけに押谷さんの心に芽生えた強い意思。やがてそれは『北海道での就農』という人生のビジョンへと進化していった。
単身北海道へと渡った押谷さんは、ひとまず深川にある短期大学の農業系のコースに入学する。農業の基礎を学ぶだけではなく、学生として通う農家の息子や北大の教授など、農に関わる知り合いを増やすためだ。事実、ここで培った人脈や信頼関係は、数年後新規就農する際に、大いに役に立ったという。押谷さんの先を見る目とビジネスセンスを象徴するようなエピソードだ。

短大卒業後、2年間の農業研修と農地探しの紆余曲折を経て、長沼町に押谷農園を開業した。(この2年間の経験が、現在の積極的な研修生の受け入れにつながっていくのだが、それは後述するとしよう)選んだ作物は、アスパラだった。
「大量生産し低価格で販売するというしくみの中で十分収益を得るのは、自分の規模の農園では難しい。小さな面積で、単価が高く、品質で勝負できるもの。さらにギフトにもなり、贈った人もいただいた人も、うれしいもの。思案の末に浮かんだのがアスパラだったんです」
とはいうものの、当時は独立まもない初心者農家。さらにアスパラが最初の収穫まで3年かかる作物であることから、当初の数年間は近隣農家のサポートや肉体労働のアルバイトにも精を出したという。
「その頃はすでに結婚もしており、家内もトマトの直売などで一生懸命サポートしてくれました。あの頃の頑張りがあるから、今の自分たちがあるという気がしますね」
アスパラの収穫が始まってからも、試行錯誤は続いた。最大の理由は、彼が選んだ“立茎栽培”に関する文献やデータが、世間にほとんど出回っていなかったからだ。今でこそ、アスパラの専門書は何冊も出版されているし、必要なデータをインターネットで入手することも容易い。しかし押谷さんがトライした10数年前、立茎栽培は未だ発展途上の段階だったのだ。

「ないなら、作るしかない」
押谷さんは、自分で最良のアスパラ栽培法を確立しようと思い立つ。そこから、暗中模索と試行錯誤の歳月が始まるのだが、そんな中でも彼は持ち前の先見性を発揮する。植え方や植える時期、水の量、肥料の詳細、土壌のphの変化に至るまで、試作や実験のプロセスやデータを、すべてパソコンに記録保存していったのだ。
「専門性の強い作物であるほど、その栽培は生産者の“経験則“や“勘”に頼る傾向があります。いわゆる職人芸のようなものですね。でもそれだと、良いものは経験豊富なベテラン農家しか栽培できないできないことになる。僕は、その“経験則“や“勘”を数値化しようとしたわけです」
どう栽培すれば病気にかかりづらくなるか、どう育てたら収量を確保できるのか、どうしたら太く育つのか.......... 収集した情報やデータを解析すると、こういった命題に対する答えが見えてきた。肥料や水、環境、土の状況まで、明快な数値で示される栽培方法を実践していくと、アスパラは太く、強く育ち、同時に味わいも格段によくなっていったのだ。
しかし押谷さんはそこで満足しない。その後もより一層、試作とデータを積み重ね、最近では肥料の詳細や水分量の調整を通じて、甘み、苦み、コクなどもコントロールできるようになっているという。
「一般のご家庭が好む味、料理人が求める味、僕が本当においしいと思う味。お買い上げいただくお客様を思い描きながら、それぞれの味のバランスを再現しています」
千差万別の好み、さまざまなニーズがある中で、購入した顧客のほとんどがもう一度口にしたいと賞賛するアスパラ。その陰にあるのは、膨大なデータに裏打ちされた先進の栽培法と、農とビジネスを俯瞰する押谷さんの絶妙なセンスなのである。

こうした先鋭的でシステマティックな農業に取り組む一方、押谷さんは研修生の受け入れも積極的に行っている。この活動の背景にあるのは自分自身の研修体験だ。
「僕が紹介されたのは、規模の大きな農園でした。技術的なことは本当にたくさん学ばせていただいたけれど、新規就農の苦労や経験談など、ゼロからのスタートでどうすればご飯を食べられるようになるか、というは将来的な見通しは得られませんでした」
農作物へのこだわり(つくる技術)と経営、どちらかに偏るのではなく、そのさじ加減とバランスが大事だと、押谷さんは考えている。
「でも、今の農業はどちらかに偏っているケースが多いと感じたのです。そのバランスの大切さを後に続く人に伝えたい、技術も経営の難しさも、ゼロからスタートした自分だから伝えられることがきっとあるはず。そんな気持ちから、研修生の受け入れへとつながっていったのです」
その一方で、志を共有できる仲間を増やしたいという思いもある。
「目先のことや、自分の作物のことだけに捉われていては、農業は発展しません。長沼の農業を元気にしたり、北海道の農業を活気づかせていくためには、しきたりに縛られない発想や、枠組みを破るようなチャレンジ精神が不可欠。そんな思いを持つメンバーを増やしたいんです」

こういった進歩的な考えがベースにあるからだろう、押谷農園の研修スタイルは実にオープンだ。農作業の実際はもちろんのこと、新規就農の実情、実践的なノウハウ、機械の導入のポイント、コストの管理方法、作物の売り先や利益の出し方のテクニックなどなど、研修生には押谷さんが有する知恵や情報のすべてが伝授される。
驚くのは、十数年の歳月をかけて確立した押谷農園のアスパラの栽培方法までも開示し、それを実践させていることだ。
「確かに栽培方法は、うちの農園の虎の子です。けれどそれは完成版ではない、今後もどんどん精度を上げていきます。研修生が今日までの栽培法を会得しても、自分と同じものを作れるようになるのには、それなりの時間を要すると思います」
さらに栽培法の最終工程、味わいの決め手となる微細なテクニックは、データ表記や数値化できない。この領域だけは、研修生それぞれのセンスで開拓し、唯一無二の独創的なアスパラを作り上げてほしいというのが、押谷さんの考えなのだ。

今年も研修生が一人、独立することになっている。
「目に見えないところにどれだけ気遣いできるか、ちょっとした技術やノウハウをいかに盗めるかが、プロの農家になるための重要なポイントです。今はまだ未熟でも、いつか彼らの作ったアスパラが自分の味を超える日がきっとくるでしょう。そうなったら今度は、自分がその技を盗み、それよりうまいアスパラを栽培する。そうやってお互いが切磋琢磨し、師匠と弟子という関係から、良きライバルになれたら…。僕はその日が来るのが、今から楽しみで仕方がないんです」

※押谷農園には、訪れた人をおもてなししてくれる素敵なオープンガーデンがあり、そのオープンガーデンと花卉栽培を担当しているのは奥様の志都香さんです。いいね!農styleフリーペーパーの第3号に志都香さんの記事が掲載されていますので、あわせてご覧ください。

取材・文 山本 公紀

写真 亀谷 光

押谷農園
北海道夕張郡長沼町東3線北13番地
TEL 0123-89-2180
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