2010年12~2011年1月へ

2011年2~3月待ちに待った春!イマイ畑の第2シーズンスタート!!

2011年2月3日(木)
注文していた「菜園ノート」と「菜園カレンダー」が届く。昔ながらの月暦を利用した畑仕事の管理帳で、農業用語の一口メモも付いている。作業効率アップに、活用しようと思う。「いいね!農style」のフリーペーパー完成(イマイもエッセイにてちょろっと出ています)! 家に届いて感激(^o^)
2011年2月4日(金)
富良野文化会館にて、ふらの卸売市場主催の講演会があった。「農薬は果たして毒なのか?」というお題と、「アグリビジネスについて」の2本立て。どちらも素晴らしい講演だった。農薬のことをどれだけイメージで「悪」だと思ってきたかを痛感したし、ロシアや世界へとマーケットの可能性を見出す農業の今後についてのお話に大きな感銘を受けた。
【コラム16】農薬について
「農薬」と聞くと、まず「悪」という強いイメージを持っていた。しかし、じゃあ農薬にはどんな「悪」の要素が入っているのかと聞かれても、明確に答えられなかったと思う。
1960年代以前の農薬は、確かに人体に影響を及ぼすほどの「悪」が含まれていたことは否定は出来ない。でも、農薬も進化・変遷を遂げ、昔とは比較にならないほどまでリスクを減らせるようになってきた。大切なのは、用法・用量、そして認識と理解だ。より多くの食糧を供給するためには、より効率よく、多くの食物を作り出す必要があるし、そのために農薬とうまく付き合うことを「悪」と言い切っていいだろうか。小規模でやる場合は、進んで農薬を使う必要はないし、それなら有機栽培もいい。ただ、だからといって「農薬は悪」と決めつけるのはいささか問題があるかも知れない。まずは知ることだ。知った上で「NO」や「悪」を決めるのが、やはり正しいと思った。
<2/5~8 石狩方面へ、駅の絵描き遠征>
2011年2月10日(木)
ついに大きい方の納屋の米の乾燥機を解体し切った!(^o^)
2011年2月12日(土)
乾燥機を、納屋の外に無理やり引っ張り出す。ついでに大納屋の掃除。埃まみれになり、鼻の穴まで真っ黒(‐_‐)
2011年2月15日(火)
鉄くず屋に来てもらう。解体し終えた巨大な米の乾燥機も、ユニックで積んで持って行ってくれ、きれいさっぱりなくなった。
2011年2月17日(木)
薪ストーブの煙突掃除。ストーブの開閉口を開け閉めする時に、あまりに煙の逆流の仕方がひどいので。すると、すさまじい煤が!(‐_‐) やっぱりひと月に一度は煙突掃除をするべきだ。
<2/17~21 スキーレンタルのアルバイト> <2/25、26 茶志内駅・光珠内駅の絵描き遠征>
2011年2月25日(金)
ここ2,3日の気温の高さと昨日の雨で、地面が見えてきた。いよいよ春が近い。
2011年2月26日(土)
ついにスイカ農家の親方から「仕事、出れるか」と連絡。
2011年2月28日(月)
毎年お世話になっている農家さんのもとで、スイカの接ぎ木。今年の農業手伝いの仕事始め。今日がシーズンインだ! しかし、農業をやるとどうしてか、夜は早くに眠くなる…Zzz。 川側にある小さい納屋の解体、初めて手を付ける。
2011年3月1日(火)
農家さんの手伝いでスイカの接ぎ木。仕事に行く前に納屋の壊し。いよいよ本格的になってきた! 仕事から帰ってきた後も更に進める。よしよし。
2011年3月2日(水)
納屋の解体、夕方に少しやる。
2011年3月4日(金)
農家さんの手伝い。アスパラのハウス内の2重ビニールかけ。ひどく息切れした。冬は運動不足だったからなぁ…。接ぎ木、ポットに土入れ。仕事行く前にほんの少しだけ納屋の解体。
2011年3月5日(土)
納屋の解体。シャッターをひとつ外すことが出来た。外側に張られた板もどんどん剥がす。いいペースだ。
<3/6~3/9 網走方面へ、駅の絵描き遠征>
2011年3月11日(金)
丸一日作業にあたれるので、納屋の解体がすごく進んだ。南側の屋根をやっつけ、外側の板張りはほぼ全て外し終わった。
作業中の2時半過ぎ、納屋の2階で作業していると、なんだか揺れている。風のせいかなと思いつつ地面に降りてくると、やはり揺れている。それも、結構大きい。富良野は震度3~4だったらしい。そう、この日、東日本大震災が起きた…!!
【コラム17】東日本大震災と、電気依存の危うさ
雪がちょっとでも降ると電車が止まり、機能が混乱する。東京に暮らしている頃の、そんな記憶を思い出す。東北地方での大地震と津波の後、主な災害地から距離の離れた首都圏で、影響が出た。地震による停電と、いまだに続く原発事故に起因する電力不足の懸念である。しかし、我々の生活は、いったいどれほどを電気に依存していることだろう。今、こうして原稿をパソコンで打ち、出来た原稿をメールで送ろうとしている自分も例外ではない。これが停電などで使えなくなると、ひどく不慣れな手段を用いなければならなくなる。
電力に依存しているものが限りなく多い我々の生活。あらためて、その脆弱さを痛感させられる。果たして我々は、これからどうするべきなんだろう? 原発依存から太陽光発電などに切り替えるか? いっそ田舎暮らし、アナログな生活に戻るのも、悪くはない。盲目的に進歩をしてきた我々は、頼りにしてきた生活の「基盤」が、気が付けば実は不安定なものだったということに気が付き始めている。何が一番大切なのか。何が一番強いのか。もう一度、腰を据えて考える必要がある。
2011年3月12日(土)
納屋の土台を完全に崩す。土台の柱を掛矢で叩き、横に倒すような恰好で。一度は車で引っ張ってもみた。しかし、納屋そのものがぐらぐらし、非常に危険な作業だったと思う。よく無事終えられたし、壊れ方も想像通り。あとは片づけを進め、畑に近づけていくだけだ。
2011年3月14日(月)
農家さんの手伝い、スイカの接ぎ木。
2011年3月15日(火)
農家さんの手伝いで、ハウスのビニールかけの準備。
2011年3月16日(水)
~3月21日(月)
農家さんの手伝いでハウスのビニールかけ。約6日で計36棟もかけた。家では納屋の解体作業(ひとまず21日で今月は農家さんの手伝いを終了)
2011年3月22日(火)
元農業ヘルパーで友人F氏、またも富良野へ。この日記もすでに3回目の登場。今回は、3月18日から富良野市が企画する「移住体験モニターツアー」に参加するために来ていた。昨日でそれが終わったというので、さっそく朝、納屋の解体を手伝ってもらう。
F氏、農業ヘルパーを2001年にやってから、約10年。しょっちゅう富良野には来ていたが、ついに今回、富良野に移住することが決まった。就職先を得たのだ。移住と一口に言っても、そんな簡単に出来るものではないし、決断するにはさまざまな葛藤も生まれる。それを乗り越えて決めたことに、おめでとうと言いたいと思う。
また、この日富良野市が主催する農業基礎講座が市内の生涯学習センターであり、午前10時から午後17時まで3講座受講する。お題目は、「土壌と肥料」、「農薬」、「安全な農作業」。
【コラム18】移住
「ついに呼ばれた」。そう彼が口にした。2001年に農作業ヘルパーをし、富良野にいたいという気持ちもありながら、地元である東京に戻り、仕事をしていたF氏。GWや夏休み、冬休み、彼は毎年富良野にやってきた。来るたび、同期で就農した仲間の畑を手伝ったりしていた。彼にとっては、それが何よりの癒しだったのだろう。
富良野を訪れる回数は、年ごとに増えていった。そして、富良野に移住する思いも強くなっているのが傍目にもうかがえるようになった。しかし、彼にとって、いや他の人にとってもかなり大きなウェイトを占める移住の一番のネック、それは「仕事」である。彼も常にそれを気にしていた。
「もう仕事云々よりも、まずは富良野に来ることだ」と、そう肚に決めたその時、富良野で縁があったある会社の方から彼のもとに連絡が来た。「一緒に働きませんか?」という話だった。
4月中旬、ついに彼は富良野市民になった。もう住む場所も決めた。「10年間の片思い」は、やっとこれで結実することになる。それも、「就職」という一番ベストの形で。彼のこれまでを見ていて、あらためて思うのは、「仕事があれば移住に踏み切れる」ということだ。道内自治体は軒並み人口減に苦しんでいるが、やはり職の提供が非常に重要だということをつくづく痛感した。何はともあれ、新しい仲間が富良野にやって来たことをうれしく思う。
2011年3月23日(水)
この日も農業基礎講座。今日は実践的な農業の仕方の講座で、「メロン栽培の基礎」を教わった。午前中で講座は終了。支度して、函館線の駅描き遠征へ。
<3/23~29 函館線の駅描き遠征。札幌近郊からニセコ方面へ>
2011年3月30日(水)
富良野地方も雪解けがだいぶ進み、畑の土も見え、アスパラの畑やポット苗も顔を出す。さぁ、ちゃんと芽は出るかな…?
解体した納屋の地面にあるコンクリートの基礎、家に来てくれた何でも屋のスーパーマンさんが、「これそのままにして、いいんじゃない?花壇みたいになるし」とアドバイス。なるほど、そりゃあいいアイデアだ!本当に、花壇みたいな畑が出来たらいいなぁ。(^_^)
雪解けと、農作業再開直前の春 2月・3月 総括
拡大3月11日、日本をとんでもない災害が襲った。東日本大震災。地震・津波・原発事故の多重災害は、日本の状況を一変させた。宮城・福島・岩手・茨城、さらには日本全体に、まずはお見舞いを申し上げたいと思います。この災害によって日本の漁業、農業に与えた打撃も計り知れない。北海道も、被った被害からの回復を含め、新たに考えなければならないことはたくさんあるだろう。
北海道は、日本の食糧基地として、今まで以上に全力で作物を生産しなくてはならない。人間にとって必要なのは、まず水と食料。それらがいかに大切かということを、災害はあらためて提示した。自分も、いったい何の力になれるのか、あまりに微力で役にも立てないかも知れないが、出来ることをやっていくしかない。
いよいよ北海道も、雪に覆われた土が顔を見せ始めた。農家もすでに動き始めている。イマイはイマイで、少しアナログな生活と、かなり小規模な農的生活を、またちまちまとやっていこうと思う。まずは秋に定植したアスパラがちゃんと出ることを祈りつつ、管理。そして、6月を目標に、壊した納屋を畑として整備すること。一足飛びにはいかないが、こつこつ地道にやっていこう!
2010年12~2011年1月へ