8~9月(前編)へ
2011年9月2日(金)
今日から農作業手伝いに復活。大雨の中トウキビの収穫。納屋で選別。午後はカボチャの選別も。午後3時、川向いのご近所さんから電話連絡。なんと、住んでいる地域に避難勧告が出たとのこと。川の水位がかなり上がっているらしい。仕事後、まずは避難所に指定された場所へ。すでに2軒の家族が来ていた。とりあえず家に戻って様子を見ると伝え、家へ。驚愕…。家の前を流れる川、すごい水位の上がり方。溢れるまであと2mは切っているか。流れの速い濁流を見ると、おっかない。家は、菜園部分が完全に水に浸かっていた。こんなこともあるんだ…。
夜、避難所には行かず、とりあえず家で寝た。避難勧告は強制ではないし、雨も止んでいて、ピークは越えただろうとの話も聞いたので。これらは自主判断。しかし、深夜2時半、雨音で目が覚める。雨脚は強い。眠い目で暗闇の中川の水位を確認。だいぶ下がった。ただ、気がざわついてうまく眠れそうにないので、すでに避難準備をしてあった車に乗り、避難所まで行って駐車場で車中泊をした。自分の判断が正しかったのかどうかは分からないが、最終的には災害時の行動はすべて自己責任。幸い無事車の中で朝を迎えた。
【コラム25】災害
結局、それが訪れるまでは日常生活の中で災害や避難のことなどほとんど頭にも思い浮かべないんだとつくづく思う。豪雨が降り、避難勧告が暮す地域に出たことで、はじめて危険に気が付いた。普段自分はいかにのんきに過ごしていることだろうと気付かされた。
氾濫するまであと2mを切った川を目前に、家の浸水を恐れて家財道具などを急いで2階に移し、生活必需品などは車に積んだ。避難所にも足を運び、避難所がどこにあってどんな場所なのかも確認した。幸い川も氾濫せず、事なきを得たと思う。ある意味今回体験したのは、現実の避難訓練だった。
迫りくる言い得ぬ恐怖の中、災害に出会ったらいったい何をしたらいいのか、我々は常に考えておかなければいけないのだと痛感した。襲われてからでは、遅いのだから…。
【コラム26】天災と農業
玉ねぎが水の上にプカプカ浮いている。衝撃的な光景だった。富良野地域一帯が水浸し。玉ねぎは水に流され、収穫目前の土の中のじゃがいもなども影響は避けられないだろう。では、何か防ぐ手立てがあったかというと、何もなかった。ただ、少しでも雨が止んだり、それ以上ひどくならないように祈るだけだった。天災というのは、それほど救いようがない。人間は、自然の前ではいかに何もできないかということをただただ思い知らされた。
訪れてしまったら、もうそれが出来るだけひどくない形で過ぎるのを待ち、過ぎた後でまた復旧の努力をする。天災は、仕方がないとしか言いようがない。それは想像を超えた形でいつもやってくるから。でも、人間が見せられる努力は、それが過ぎた後発揮されると思う。めげずに立ち上がり、一歩ずつ進もう。そこに問われる本当の真価があるような気がする。
2011年9月3日(土)
水位はずいぶん下がった。ひと安心…。通常通り農作業をする。カボチャの選別。
2011年9月4日(日)
カボチャの選別、箱詰め。今日でカボチャもすべて終了。
2011年9月5日(月)、6日(火)
農作業手伝いは雨のため休み。家で泥だらけの菜園に入り、ミニトマトの10本の木のうち、6本を抜く。畑を終わらせていくために。水に浸かった場所は泥をかぶって泥がそのまま残り、土の表面がコペコペでネトネトだぁ(T_T)。ついに明日は進みの遅い台風12号が北海道に最接近(だいぶ日本海側だが)。全国に猛威をふるい、川を氾濫させた台風12号。ほんとうに悪かった。(この台風は上士幌町をはじめ、道内に大雨を降らせた。芽室町でも川が氾濫し、避難勧告が出た。被害が出た地域は出来秋を果たして無事に迎えられるのだろうか…)
2011年9月6日(火)
薪用の廃材を切る。菜園のマルチをはがし、鍬で耕した後、残っているアスパラの苗を定植。マリーゴールドやオクラも抜いて終わらせた。
2011年9月7日(水)
農家さんの手伝いはスイカのハウスのマルチはぎ。でも雨が降り、お昼まで。家に戻って薪切りとアスパラ畑の雑草抜き。
2011年9月8日(木)
農家さんの手伝いはトウキビの収穫、選別、箱詰めとマルチはぎ。今日で9月の農作業期間終了(今月はちょっと早いけど)!
仕事前の朝、生ったブルーベリーの実を食べる。甘酸っぱいなぁ。今年は春の初めに風で枝が折れ、こうなってしまったら実を付けさせるより木を育てたほうがいいと思って花芽を摘んだので、全然実が生らなかった。来年こそ!いっぱい実を生らせて食べてやるぞ~。
2011年9月10日(土)
イマイ畑#2と菜園、川っぺりの3か所のアスパラに硫安撒き。お礼肥として。菜園ゾーンのアスパラには堆肥も。そして、遠征出発。
【コラム27】お礼肥
開花後や果実の収穫後に施す肥料のことをこう呼ぶ。消耗した植物に栄養分を補給して回復をはかり、株を充実させて次年度の成長に備える。多年性の作物たちに、今シーズンの労をねぎらい、「よく頑張った!」と肥料をやる。「お礼肥」とはなかなかいいネーミングだ。アスパラの場合、収穫し終わった後が大事だと農家さんが言うのを耳にしたことがある。収穫後、ゆっくりと休養させ、栄養を与えて株をさらに充実させることが次の年の収穫を左右する。イマイ畑のアスパラたちは定植1年目2年目と、まだ若い。ここは十分に肥料をやって、来年のさらなる伸長を待つ!
<9/10~9/15 日高線の駅描き遠征 勇払~日高三石>
2011年9月16日(金)
イマイ畑#2と菜園のアスパラに堆肥撒き。ほぼ撒き終わった。懸案だったルバーブの株分けもし、植える。明日の雨に当たるといい。しかし、あらためてアスパラの畑も広くなったものだと思う。生育も順調だ。
菜園のミニトマト、ナス、ピーマンは抜いて終わらせた。ピーマンは結局全然取らずにダメにしてしまったが、最後に3つばかり収穫した。ナスも生っているだけ取った。ミニトマトは前年より収穫した期間が短かったように思うけど、今シーズンもミニトマト丼でお世話になった。ウコンはすくすく。絵描き期間を終えて農業をすると、やっぱり農作業で体を動かすのは気持ちいいなと思う。
2011年9月17日(土)
薪用の木切り。イマイ畑#1に硫安を撒き、イマイ畑#2と菜園、川っぺりの果樹ゾーンなどに去年の冬に薪ストーブから出た灰を撒いた。(草木灰はカリウムを主としたミネラル分を含み、アルカリ性で肥料としての効果がある)
2011年9月18日(日)
イマイ畑#1と川っぺりのアスパラ畑の雑草取り。小雨降る中、すべて取った。さらに薪切り。薪置き場も結構いっぱいになってきた。これだけあればひと冬越せるかなぁ。
2011年9月20日(火)
イマイ畑#1と川っぺりのアスパラの畝間・株元に堆肥やり。これですべてのイマイ畑に堆肥が行き渡った。あと、ラベンダーゾーンの雑草取り。ちゃんと根付いたし、来年咲くかなー。しかし、また台風(15号)が近づいてきた。今度は日本と北海道も上陸して通っていくぞ…。
2011年9月22日(木)
台風15号は本州に暴風豪雨をもたらしたものの、当初よりルートが東に逸れたため、富良野は難を逃れた。でも、23日午前まで雨とのこと。
2011年9月23日(金)
すくすく育つウコン。あと、何と庭に梨の木発見!!実が生っている!
洋ナシだ。こりゃあまたひとつ楽しみが増えたぞ(^о^)☆
2011年9月26日(月)
ちょっと早いけど、家の一階のすべての窓部分にビニールを張り防寒対策。ひと月前くらいにこうして寒さ対策をしておくと安心。寒くなってからの作業はやっぱりつらいので。
2011年9月27日(火)
実はイマイはこの日からオーストリアへ約一か月絵描きに行ってきます!富良野市の姉妹都市がオーストリアにあるので(シュラートミンク市という小さな町です)。薪の準備や防寒対策の前倒しもすべてこれが理由。畑を抱えてる身でひと月家を空けるというのはあまり褒められたことではないんだけど、半農半画というライフスタイルではこういうことだってある。実験の意味でも、果たしてひと月後、イマイ家と畑はどうなっていることやら、乞うご期待。
富良野一帯水浸しの衝撃 8月9月
拡大出来秋を迎え、玉ねぎ畑に収穫のトラクターやピッカーが動き始めたところだった。日本に台風12号がやってきて、猛威を振るった。台風本体が上陸する前に、その影響で豪雨が降り、道内をはじめ、この富良野地域も雨に打たれた。降雨量では上富良野町がひどく、十勝岳からの水が上富良野町を通ってそのままやってくるイマイ家の前の川はみるみる増水。避難勧告が出るまでに。仕事をしていたその日、帰り道の富良野市内の畑の光景は衝撃的だった。玉ねぎ畑はまるで水田のようになり、玉ねぎは水に浮かんだり流されたり…。「よりによってこんな時期に…」と思わずにはいられなかった。イマイ畑も#2の一部分と菜園、果樹ゾーンがすべて一時水没した。
土砂崩れでせき止め湖が出来た和歌山県など、紀伊半島の惨状を見ると泣き言も言えないが、とにかく今年は自然災害が日本を襲う。その猛威の前に、人間はただ立ち尽くすしかないんだとあらためて知る。でも、そこから立ち直ることこそが人間の本質なのかも知れない。くよくよしたってしょうがないさ!台風が去ったしばらく後には再び玉ねぎなどの収穫光景も見られたし、水に浸かった影響は確かに残るかも知れないが、またそこから再出発。そんなこんなのイマイ畑とイマイの農作業手伝いは、ほぼシーズン終了。アスパラの生育も順調。あとは来年に向け、また新たな準備をしていこう(^―^)!☆
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