農style fileVol.8

2012.05.10 UP

home > “農”という仕事 それぞれの道 > Vol.8 生きていくために必要なものだから、安心して食べられる野菜をほどほどな値段で。

前のページへ
vol.8

生きていくために必要なものだから、
安心して食べられる野菜を
ほどほどな値段で。

野菜・ハーブ・花など 約80種類 小畑 拓さん(帯広市)
1979年生まれ
兵庫県出身
introduction

酪農希望から一転、野菜農家として2009年に新規就農。今では自分の仕事に誇りと責任を持ち、自分の目指す農業へとしっかりと突き進んでいる小畑さん。しかし就農する数年前までは、多くの人から「小畑くんに農家は無理だ」と言われていたという。畑はすぐ目の前にあるのに何故か思うようにはいかない。そんな小畑さんが何故、軌道修正できたのか?そこにはやはり大切な出会いやきっかけがあった。

stage1 兵庫県/田舎への興味

田舎に住みたい、そのための仕事は牛飼い。
そんな夢を描いていた子供時代。

兵庫県神戸市、都会の一般的なサラリーマン家庭で育った小畑さん。小さい頃に遊びに行った友達の祖父母が住む田舎町は、とても魅力的な場所だった。昼間は飽きるまで虫を追いかけ、夜、離れにある手洗いに行く時に見上げた星空やあたり一面から聞こえてきた虫の声は、今でも忘れられないという。そんな経験から、いつかは田舎に住みたい、動物が好きだから「牛飼い」になるのもいいと思うようになっていった。高校一年生の時、「牛飼い」を体験できるチャンスがやってきた。父親が伝手をたどって見つけてきてくれた大分県の酪農家。「牛飼いなんてそんなに甘いものではない、一度現実を見せておこう」というのが、父親の正直な気持ちだったのかもしれない。山の中にある小さな駅、もちろんコンビニなんてない、近くの小さな商店までは数キロ。それでも、削蹄を見せてもらったり、給餌や掃除を手伝ったり、当時小学生だった2人の女の子の相手をしたり、小畑さんにとっては全てが楽しい時間だった。

stage2 帯広市/酪農から畑作へ

「牛飼い」の夢をあきらめ、野菜栽培農家を目指す。

大学受験の時に獣医という選択肢も浮上したが、自分の学力では無理だとあっさりと断念。「一浪してたまたま入ることができたのが帯広畜産大学の別科※1だったんです」と小畑さんは笑う。北海道へのこだわりは特になかったそうだ。その大学で小畑さんは現実を学ぶ。大学1年の時、日本で92年ぶりに口蹄疫が発生という事件が起きた。地域を守るために仕方がないこととはいえ、人間の都合で生かしたり殺したりする仕事は自分にはできないと、酪農の道も諦めた。農業がまわりの農家や地域との繋がりの中で成り立っているということも知った。ちょうどその頃、こだわり野菜をつくっている農家の情報をテレビや雑誌で知り、野菜なら自分の好きなようにできるかもしれない、そんな風に小畑さんの夢は野菜農家へと変わっていった。

※1.将来生産者を目指す若者に、畜産・酪農を中心とする畜産科学の基礎教育を2年間で行う学科。

stage3 帯広市/就職

近いようで遠い、畑との距離。

卒業後は大学時代からアルバイトをしていた養鶏場に就職した。そこには畑もあったため、鶏の面倒をみながら野菜をつくろうと考えていた。しかし、ほぼ全ての仕事を一人に任され、その時間は作れなかった。また、誰も見ていないたった一人の職場だったため、次第に仕事をサボるようになったという。根っからの動物好きのはずなのに、鶏もかわいいとは思えなくなっていった。そして3年後、このままでは駄目になると自ら仕事を辞めた。次の仕事は新規OPENのオーベルジュで、トラクターで馬車を引く森林散策の案内人。午前中は畑を手伝いながら勉強ができるようにと農家を紹介され、午後だけの契約にしてくれた。それでも夏のシーズンが来て忙しくなると、制服を着て夜遅くまでレストランを手伝うようになった。朝早起きするのが難しくなり、次第に畑仕事から足が遠のいていった。意志が弱いのか流されやすいのか、農家になりたいという気持ちとは裏腹に就農への道のりは依然としてかなり遠い状況だったが、実はここで一人の農家との運命的な出会いを、小畑さんは果たしていた。帯広市愛国町で自然栽培を行っている藪田さん※2である。この頃にはまわりの誰もが「小畑君に農家は無理だ」と言っていた。そんな中たった一人「成功するのも失敗するのも全部自分のせいだ。だからできるできないはまわりが決めることではない」と言ってくれたのが藪田さんだった。

※2.やぶ田ファーム http://www008.upp.so-net.ne.jp/YABUTA-FARM/

stage4 幕別町/実践

自称「農家」としてのスタート。

翌年、農業技術センターでの仕事を経た後、以前に働いていたオーベルジュから畑を借りられることになった。トラクターだけは何とか入手した。しかし、畑を借りたものの何をして良いかわからずにいるうちに、いつの間にか5月になっていた。足が遠のいていた藪田さんのところへ、怒られるのを覚悟で相談をしに行った。「今、種を持っているのは金時豆だけ。明日以降天気が崩れる予報だから、今晩中にトラクターで畑を全て耕しておけ」これがやぶ田さんの言葉だった。ホームセンターで購入した工事用のヘッドライトの灯りを頼りに、使い方もよくわからないトラクターを操り朝までかかって畑を耕したという。結局、種を蒔いた金時豆の収穫は殆どなかったのだが、この夜の覚悟が狂っていた歯車をもう一度かみ合わせるきっかけになったのかもしれない。翌年、素人ながらも採れた野菜を朝市で自ら販売し売れる喜びを味わったり、別の直売所では「こんなひどい野菜」とお客さんに叩かれたりもした。生活を支えていたのは農作業をしながら続けていたアルバイト、公に認められたわけではない自称「農家」、それでも小畑さんは既に生産者として歩き始めていた。

stage5 帯広市愛国町/転機

地域ぐるみの受け入れで、新規就農を果たす。

自称「農家」の2年目の秋、藪田さんと一緒に直売所で野菜を販売していた時、藪田さんが就農する時にお世話になったという親方の一人に出会った。その親方が小畑さんの畑を見に来てくれて「本気でやる気があるなら役所を説得してこい」と言った。小畑さんが数年前に訪れた時には本気で取り合ってもらえなかったが、今度は本気だった。その後、親方の働きかけで、小畑さんの新規就農を成功させるために15~16軒の農家が集まり「愛国地域農業新規参入者受入協議会」がつくられた。地域ぐるみの協力で、「農地」をはじめとする就農へ向けての様々な難題は解決していった。正式な研修生として認められたが、研修は親方の畑を手伝いながら学ぶのではなく、自分の畑でしっかりとつくり収入を得るという実践形式だった。小畑さんが目指す自然栽培の先駆者である藪田さんの背中をしっかりと見て、自分の畑で実践し、学んでいった。それまでの経験も認められて、翌年の2009年には晴れて新規就農を果たす。2010年には有機JAS認定を取得、その後自然栽培へと移行していっている。多くの協力のもと失敗は許されないというプレッシャーにも打ち勝ち、以前とは違い逞しくも感じる小畑さんに、何故変われたのかと尋ねると、「これが本当に好きでやりたかったことだからです」という答えが返ってきた。

stage6 帯広市愛国町/これから

生きていくために必要なものだから、
安心して食べられる野菜をほどほどの値段で。

「野菜を育てることには手応えを感じられるようになったが、儲からない」と小畑さんは言う。冬は昼も夜もアルバイトをしている。収入のない春先は農作業をしながら夜のアルバイトに行く。それでも「生きていくために必要なものだから、安心して食べられる野菜を誰もが買えるそこそこの価格で販売したい」という。小畑さんが目指しているのは、堆肥や肥料などの外からの投資を一切せず、種も自分で育てた作物から毎年採り、畑の中での循環を半永続的に続けていける農業だ。自家採種までをしているのはまだ数種類だが、購入している種もできるだけ固定種を使っている。種は毎年採り続けているとその土地に馴染んで味も変わっていく。そんな小畑農園でしか味わえないオリジナルの野菜をつくっていきたい。どんなに美味しい野菜が採れるようになっても値段はほどほどに、これが小畑さんの思いだ。

message 新規就農希望者へ

これから就農を目指す方へのメッセージをお願いしたところ「食べるものは生きる上での根本の部分。農業はそこに直接関わることができる素晴らしい仕事だと思います。だからこそ自分の仕事に責任や誇りを持ち、自分がつくったものを自信を持って人に薦めることができるような、そんな農業を目指して欲しい」という言葉がすぐに返ってきた。「農法が違っても同じ。自分の収入が多少足りなくても、食べ物を人に提供する仕事だということを常に意識して欲しい」という小畑さんの言葉からは、この土地に住み、食べるものをつくり続けていく農家としての覚悟が伝わってきた。

小畑農園
〒089-1181
帯広市愛国町東1線35-11
TEL & FAX:0155-64-270
前のページへ