農style fileVol.9

2012.05.22 UP

home > “農”という仕事 それぞれの道 > Vol.9 活路は、農業生産法人にあり。

前のページへ次のページへ
vol.9

活路は、農業生産法人にあり。

有機栽培たまねぎ・特別栽培たまねぎ
中村 好伸さん(新篠津村)
1964年生まれ
北海道札幌市出身
introduction

農業生産法人を経営する中村好伸さん。この世界に入ったのは、偶然めぐりあわせた農的くらしがキッカケだ。生まれてはじめての畑づくりに挑戦するなかで、自然を相手にする仕事が好きで向いていると自覚した。農業を志すものの、ツテも経験も潤沢な資金もない中村さんが取った戦略が、後継者のいない農業生産法人への就職だった。「覚悟」をもって背水の陣で臨んだ就農。7年目から徐々に理想に近づき、いま、次の世代へバトンを渡す仕組みづくりに取り組むまでになった。

stage1 農的くらしへの憧れ

やっぱり“農”が好き。

大手メーカーの経理部、ラーメン製造販売、自然愛好家の弟子、そして農業生産法人へ。図らずも5年ごとにステージを変え、最終的に農業にたどりついた中村さん。生まれも育ちも札幌で、農業と縁が深かったわけではない。それでも、大学受験を控えて、農学部がチラリと頭に浮かんだという。しかし、入学したのは小樽商科大学。そして、ニッカウヰスキーに就職する。東京本社の経理部に5年ほど勤務したのち、小樽にUターン。ラーメンを製造販売する知人の会社で働くことになった。あるとき、ラジオパーソナリティの河村通夫氏に会いに行く。彼は、栗沢町(現・岩見沢市)の長閑な里山でカントリーライフを送っていた。営業のために訪問した中村さんだが、河村氏の生活に魅了され、なんと、弟子入りしてしまう。庭いじり・畑づくりが仕事になった。はじめての農業体験。自分に向いていると思ったそうだ。その農的くらしが、中村さんを本格的に農業へと向かわせた。

stage2 作戦

狙いは農業生産法人。不惑目前にして、迷わず。

「自分の力で農業をやってみたくなったんですよ」。河村氏のもとで働きはじめて6年ちかく、中村さんの自立への思いが大きくなっていた。そこで、戦略を立てる。農業をやりたいという気持ちは固まった。でも、経験も資金も不足している。さて、どうするか? 中村さんが出した答えが、農業生産法人に就職すること。さっそく栗沢町役場(当時)に相談するが、求める情報は得られない。札幌に事務局を置く北海道農業会議にも問い合わせる。もらったパンフレットに、農業生産法人の求人情報があった。「2~3年して仕事に慣れたら、経営を譲る」という条件付きのものも2件ほど。これだ!中村さんはすぐに行動に移す。面接に行って、その場で採用。いま自分が経営している佐藤農産に雇用されることになった。決意から3ヶ月、スピード転職が決まった。順調なすべりだしだが、38歳、妻あり3人の子どもあり、後戻りの許されない船出だった。

stage3 修行時代

7年間、草取りをしながら、親方の技を盗む。

就職してからの中村さんは、来る日も来る日も、草取りに明け暮れた。先代社長は農業ひとすじ50年、「人より大きく、人より早く」を信条とした負けん気の強い人だったそうだ。その性格が、有機栽培たまねぎを生んだ。2001年、中村さんが入社する1年前には有機JASの認証を受けていたという。除草剤を使わない有機栽培は、雑草との戦いでもある。特にたまねぎの場合、その戦いは過酷だ。地面を覆うような葉がある作物は、ある程度育つと葉が陽射しを遮り雑草の生長も多少は防ぐことができる。しかし、その葉がないたまねぎは、雑草より大きく育っても油断はできない。どこまでも雑草との戦いは続くのだ。抜いても抜いても出てくる雑草をひたすら引き抜き、気づけば7年も経っていた。昔気質の職人的なところがある先代は、職人らしく、手取り足取り言葉で農業について指導はしてくれない。だから、弟子らしく、技を盗んだ。畑のおこし方・肥料のまき方など先代のやることを、草取りしながら、横目で見て記憶した。この修行時代の中村さんを支えていたのが、河村氏の教え「学ぶの語源は、まねぶ。99%はまねすればいい」だったという。

stage4 自分の土地に

親方から土地を買う。

転機がおとずれたのは、いまから4年前。先代社長が引退したのだ。実質の経営権を先代に残すという道もあったが、ここでも中村さんは自立を選ぶ。親方から盗んだ技を自力で試してみたかった。その決意が、資本の総入れ替えに現れている。佐藤農産の畑は、法人の財産と先代社長の財産に分けられる。中村さんは法人を引き継ぐにあたって、その両方を買い取った。正直、高い買いものだったが、家族のことも考えたうえでの男の決断だった。それを可能にしたのが日本政策金融公庫の融資であり、その返済が、いまの意欲の源の一つになっているという。このときの大きな決断は、中村さんの作戦が成功した瞬間だった。新規で就農する場合、土地を手に入れるのが難しい。土質はもちろん、設備や住まいとの兼ね合いを含めて、希望の条件に合う土地はそうそう余っていないのだ。その意味では、中村さんの農地取得はスムーズだったといえるだろう。「経験も資金もない自分が就農するために、現実的で近道なのは、後継者のいない農業生産法人に就職すること」という戦略が、実を結んだ。とはいえ、苦労もした。土地や会社の売買は仲介役がいなくて、先代と中村さんという個人対個人で行われた。そのため、さまざまな壁があったという。その経験から、今後は法人を継承するための仕組みをさらに整備していく必要があると、中村さんは強く思っている。

stage5 楽しい農業経営

農業経営は楽しい。

慌ただしく時間が過ぎていく現代にあっても、農業は自然のリズムとともにある。空の顔色を見ながら、たまねぎの声を聞く毎日は、楽しいという。本人曰く、綿密な数字的目標は立てずどんぶり勘定だが、売上も年々上がってきている。もともとの才能か、メーカー時代に培ったのか、中村さんには経営センスがあるのだろう。経営者としての仕事も楽しいようだ。ところで、農業生産法人は会社的な面と自営業的な面を合わせ持つ。社員は、組織の方針に従わざるを得ない一方、自然相手だから必ずしも週休2日とはいかない。もちろん、メリットもある。まず、収入が安定している。また、農業で生きていく覚悟を試す場になりうる。自営で農業をはじめたはいいが向いていなくてすぐにやめるというのでは、本人にとっても周りの農家・農業関係者にとっても不幸だからだ。農業生産法人は、農業をはじめるときの選択肢の一つとしてよいのではないか。中村さんはそう考えている。

stage6 継承

つくりたいのは「継承」の仕組み。

いま、佐藤農産には3人の若手社員がいる。やる気さえあれば、ゆくゆくは経営を譲ってもいいと考えているようだ。中村さんは、次の誕生日で50歳になる。あと15年は現役で働くとしても、その後の跡取りは必要だ。そのためにいまから、ある仕組みづくりを計画している。江別市角山と当別町にある畑に、それぞれ農場長を置いて生産を任せるというもの。販売は自分が請け負うつもりだ。多くの生産者が苦戦する「販売」。「売ることが難しくて…」という声はよく聞く。でも、中村さんにとって販売は苦ではない。だから、自分の畑で、農業を真剣に志す人にまずはつくることに専念してもらい、徐々に農業経営者としての力をつけて、いずれ後を継いでくれればと思っている。農業分野ではまだ整備されていない、土地・経営の継承を視野に入れて、中村さんは、従業員と家族のために邁進している。

message 新規就農希望者へ

中村さんの話のなかに何度も出てきた言葉がある。それが、「覚悟」。気持ちのエネルギーの量のことを指している。諦めないという意味も含むのだろう。覚悟さえあれば、どんなことでも乗り越えられると中村さんは言う。農業に携わって11年、事実、そうやって踏ん張ってきた。もうひとつ、実感していることがある。縁はつながるということ。いろいろな縁がチャンスとなり、中村さんのいまをつくっているのだ。「チャンスに出会うまで、とにかく歩きなさい」。やみくもにでも歩き続けていれば、必ずチャンスに出会える。チャンスをつかんだあとは「覚悟をもって諦めなければ、どうにかなる」。夢を抱えて農業に挑戦しようと思っている後輩たちへの、中村さんからのメッセージだ。

新篠津つちから農場(株)(旧(有)佐藤農産)
〒068-1143
北海道石狩郡新篠津村第37線北24番地
TEL & FAX:0126-39-3976
※もっと詳細を聞いてみたいという方や、直接相談してみたいという方の対応もしていただけるとのことですので、中村さんの携帯に直接お電話でアポイントをとった上で訪問してください。(連絡先携帯電話番号:090-6872-3058)
前のページへ次のページへ